八王子の歴史

千人同心

千人同心屋敷跡八王子市の甲州街道沿いに「千人町」という町があります。これは江戸時代、このあたりに住んでいた「八王子千人同心」が由来になっています。 千人同心とはいったいどのような人々なのでしょうか。
徳川家康は江戸へ敵が入ってこないように、八王子に武士団をおいて、甲州街道の見はりをさせました。これが千人同心のはじまりです。同心とは江戸幕府の下級役人をいいます。最初は約250人、後に500人、後に1000人に増やされ、100人の組が10組あって、千人になることから、千人同心といわれました。組の頭は、現在の千人町周辺に住み、同心たちの多くは、周辺の村に住んで農業をして生活をしていました。同心たちの主な役目は、家康をまつる日光東照宮の火の番(見回りや消火活動)でした。他にも、幕府から命令があると出動しました。後に、千人同心が日光を守ったことを記念して、日光市と八王子市は昭和49年に姉妹都市になりました。千人同心の中には、学者や、医者として有名な人もたくさんいました。
千人同心の活動のもう一つが蝦夷地(現在の北海道)の開拓です。18世紀後半、江戸幕府はロシアの進出を食い止めるため、蝦夷地の一部を支配しました。そんな中、千人頭の原半左衛門胤敦は蝦夷地の開拓と警備を幕府に願い出て、北海道に渡ります。気候が厳しく、開拓は失敗に終わりましたが、これがゆかりとなり、昭和48年に八王子市と苫小牧市は姉妹都市となりました。

八王子のまちづくりの基礎をつくった大久保長安

大久保長安という人物を知っていますか。八王子のまちづくりの基礎をつくった人物です。長安は全国でも活躍し、金山で金の産出量を増やすなど、徳川幕府の財政にとって大きな働きをしました。
1590年の八王子城落城後、新たな八王子のまちづくりが始まります。長安はまず、新しい甲州街道をつくり、そこに横山・八日市・八幡の3つの宿を置きます。そして、浅川の氾濫を防ぐために石見土手も築いたといわれています。今の甲州街道はまっすぐですが、当時は軍用としての役割があったため、わざと道を曲がらせたり、武士が待機できるよう近くにお寺を移動させたりしました。市内には今でも長安にゆかりのあるお寺や神社などがあります。

石見土手

石見土手

大久保石見守長安陣屋跡

産千代稲荷神社