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其の六 世界とつながった絹の道

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絹の道が生糸の他に運んだものは?

 八王子から横浜へ、そして世界へ、生糸を運ぶ道としてにぎわった絹の道。横浜に居留した西洋の人々がこの道を通り、西洋の文化も運びました。絹の道を通じて世界とつながった八王子の人々の生活がどのように変化していったのか、紐解いてみましょう。


  
絹の道
 絹の道
   

八王子の中心部から鑓水を通って横浜へ至る浜街道は、輸出用の生糸の流通路となり、後に「絹の道」と呼ばれるようになりました。
 安政6年(1859年)の横浜開港により、桑都八王子はいち早く新しい時代を迎えました。谷戸に囲まれた中で農業や養蚕などを生業としていた鑓水は、外国人遊歩規定で定められた横浜から40キロメートルの圏内に位置することから、日本の養蚕に興味のあった西洋人から注目されました。考古学者のハインリヒ・シュリーマンや写真家のフェリックス・ベアト、スイス人の商人カスパー・ブレンワルドなどが、浜街道を通過しながら、八王子宿や養蚕の様子などを旅行記や写真に残しています。
 明治時代に入ると、八王子と横浜を結ぶ浜街道は、生糸商人や西洋人が行き来するようになりました。南多摩郡鑓水村の商人は、生糸の売買で大きな富を得て、沿道の大塚山に道了堂を建てたり、諏訪神社に石燈籠を寄進したりするなど、文化的な功績も残しました。さらに、生糸商人が横浜で見聞きした西洋の新しい文化や横浜での出来事を鑓水へ、そして、八王子の中心部へ伝えていきました。

鑓水
  
絹の道
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文化財の保存・活用事例

関連ファイル

はちおうじ物語 其の六 世界とつながった絹の道(PDF形式 9,961キロバイト)

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