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はちおうじ物語其の七 主な構成文化財
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絹の道
〔鑓水〕
幕末期から明治初期まで、八王子から横浜に輸出用生糸を運んでいた道です。この「絹の道」という名前は、昭和32年(1957年)に郷土史家である橋本義夫によって名付けられました。特に昔の面影をよく残す未舗装部分は、平成8年(1996年)に文化庁選定「歴史の道百選」に選ばれました。
≫絹の道
小泉家屋敷
〔鑓水〕
多摩地区南西部の丘陵地帯の養蚕農家としての様相をよく残している建物です。現在の母屋は、明治11年(1878年)に再建されたもので、入母屋(いりもや)造りの茅葺(かやぶき)屋根に、田の字形(四間取り)という南多摩の丘陵地に旧来から見られる典型的な農家建築の様式を取っています。上の階では養蚕が行われていました。
八木下要右衛門屋敷跡
〔鑓水〕
八木下要右衛門(やぎしたようえもん)は鑓水商人として知られ、生糸商で莫大な財を得ました。屋敷の南の隅に建てられていた書院は、別名「異人館」と呼ばれ、訪れた外国人をもてなした場所であったと伝えられています。
永泉寺
〔鑓水〕
永泉寺は、天正元年(1573年)に創建されたと伝わる曹洞宗の寺院です。本堂は、明治17年(1884年)に火事で焼けたため、現在「絹の道資料館」が建つ敷地に残されていた八木下家の母屋(おもや)を移築して本堂にしています。
諏訪神社
〔鑓水〕
諏訪神社は元々鑓水村内の別の場所にあった諏訪・八幡の2社を子(ね)の権現がある現在地に移し、明治10年(1877年)にまとめられたものです。境内には、鑓水商人の寄進による石灯籠(いしどうろう)が現在も残されています。
道了堂跡
〔鑓水〕
道了堂は、明治7年(1874年)鑓水商人大塚忢郎吉(おおつかごろきち)が中心となって、浅草花川戸(あさくさはなかわど)から道了尊を勧請して建立されました。現在は、礎石の跡と灯籠(とうろう)が残り、かつての面影をしのばせています。
大塚山公園
〔鑓水〕
大塚山の山頂からは、十二州を望むことができたといわれています。公園は、道了堂の跡地を平成2年(1990年)に整備したもので、入口には絹の道碑が建っています。
絹の道碑
〔鑓水〕
「絹の道」の名称は、昭和32年(1957年)郷土史家の橋本義夫による絹の道碑の建立に由来しています。
御殿橋
〔鑓水〕
この「御殿橋」から「絹の道碑」が建つ場所までの約1.5キロメートルの道が市史跡絹の道(市指定史跡)に指定されています。
八王子道道標
〔鑓水〕
横浜と八王子を結ぶ道標として慶応元年(1865年)に建てられました。正面に「此方 八王子道」と大きく刻まれ、東面に「此方はら町田 神奈川 ふじさわ」、西面に「此方はし本 津久井 大山」とあり、裏面に「慶応元乙丑 仲秋吉日 武州多摩郡 鑓水村」とあります。「絹の道」が盛んに利用されていたころの貴重な遺物です。
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