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其の五 八王子宿と千人同心

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千人同心はどのような文化を育んだ?

 現在の中心市街地の基盤となった、江戸時代の八王子十五宿。その西方には、甲州口の守りなどのために「千人同心」が配置されていました。千人同心は、軍役を務め、治安維持や日光火の番などで活躍した一方で、数々の文化的功績も残しました。八王子十五宿の始まりから、千人同心の活躍と文化的な功績を追ってみましょう。


 
千人同心の連絡網
千人同心の連絡網「番組合之縮図」
    

 徳川氏の代官頭大久保長安は、北条氏照が八王子城下に築いていた城下町、横山・八日市・幡の三宿と領民を現在の中心市街地に移して、新たに八王子宿として整備しました。
 八王子宿の西方(現千人町)には、武田氏の旧臣などからなる千人同心が置かれました。千人同心は、徳川家康の江戸入府にともない、当初は甲州との国境警備や八王子城落城後の地域の治安回復などにあたりましたが、その後、日光東照宮とその周辺の火の番をする日光勤番を公務として幕末まで担いました。
 常に国内外の最新の知識と文化に通じていた千人同心からは、地理学や蘭学に優れた文化人を多く輩出しました。また、横浜港の開港前に、国事に関心を抱いていた千人同心が海防にかかわる意見書を徳川幕府に提出しました。開港後は、全国各地への千人同心の派遣が開始され、派遣地での情報収集が行われました。幕府の解体後、千人同心の多くは帰農して、八王子周辺地域に根付いていきました。
 発展を続ける現在の八王子の学問や文化には、文化的な側面も持ち合わせていた千人同心の気風が受け継がれているのかもしれません。

八王子宿
  
千人同心
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主な構成文化財
文化財の保存・活用事例

関連ファイル

はちおうじ物語 其の五 八王子宿と千人同心(PDF形式 6,814キロバイト)

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