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八王子空襲

八王子空襲

 米軍は、東京など大都市に対する空襲を行う一方、地方の中心都市にも攻撃目標を移し、焼夷弾(木造家屋を焼き払うために油などを詰めた爆弾)による爆撃を始めました。
 そして昭和20年8月2日未明に、八王子はB29爆撃機約170機による空襲を受けました。八王子が空襲を受けた理由としては、次の2点が考えられます。
(1)市内外の工場で働く人や、都内から疎開(空襲による被害を避けるため、地方に避難すること)してきた人たちがいたこと

(2)八王子駅が東日本における鉄道交通の要となる重要な駅であったこと

 焼夷弾は、現在の万町と小比企町の境に落とされ、その後、下長房(現長房団地内)をはじめ、市内に次々と投下されました。
 この空襲は、約2時間近く続き、当時の市内の中心部の大部分が焼失する大惨事となり、約450名の人が亡くなり、約2,000名の人がけがをしました。

八王子空襲に関する年表

西暦(年号) 出来事
1937年7月7日
(昭和12年)
盧溝橋で日中両軍衝突(日中戦争の発端)
1939年9月1日
(昭和14年)
第二次世界大戦開始
1941年12月8日
(昭和16年)
真珠湾攻撃・太平洋戦争開始
1942年3月5日
(昭和17年)
東京に初の空襲警報発令
1942年6月5日
(昭和17年)
ミッドウェー海戦(日本海軍、4空母を失い、戦局の転機となる)
1944年6月19日
(昭和19年)
マリアナ沖海戦(日本軍、空母・航空機の大半を失う)
1945年3月10日
(昭和20年)
東京大空襲 B29約300機、東京都江東区を夜間焼夷弾爆撃
(死者数12万人、23万戸焼失)
1945年4月1日
(昭和20年)
アメリカ軍、沖縄上陸(守備軍全滅・一般国民死者10万人)
1945年7月8日
(昭和20年)
元八王子村、浅川町でP51の機銃掃射を受ける
(元八王子村で疎開児童が銃撃を受けて死亡)
1945年8月2日
(昭和20年)
八王子空襲 B29、169機による空襲(死者約450人、負傷者約2,000人、
1万4,000戸以上、市街地の80%が焼失)
1945年8月5日
(昭和20年)
浅川町、中央線湯の花トンネル入り口付近でアメリカ軍機が列車を襲撃
(死者52人、負傷者133人)
1945年8月6日
(昭和20年)
広島に原子爆弾投下
1945年8月9日
(昭和20年)
長崎に原子爆弾投下
1945年8月15日
(昭和20年)
日本無条件降伏・ポツダム宣言受諾を発表
戦争終結の詔書放送(玉音放送)

参考文献
「八王子の空襲と戦災の記録 総説編」八王子市教育委員会 1985年
「ブックレット八王子空襲」八王子市教育委員会 2005年

八王子空襲に関する本

本
 

戦争関連資料

戦争関連資料
 

八王子市の平和に関する宣言

 

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