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はちおうじ物語其の二 主な構成文化財
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椚田遺跡
縄文時代中期の良好な集落跡で、竪穴住居が多数発見され、数百年にわたり居住の場としてくりかえし利用されてきたことがわかる遺跡です。一部を遺跡公園として整備し、現在は「国史跡椚田遺跡公園」として一般に利用されています。
船田石器時代遺跡
縄文時代中期末から後期初頭の、敷石住居が現われ始める時期の敷石住居跡が発見された貴重な遺跡です。住居は直径5メートルほどの範囲に扁平な川原石を敷いたもので、中央に直径60センチメートルほどの炉があり、土器が埋められていました。
北野石器時代住居跡
縄文時代後期の2本の石棒を伴う敷石住居跡です。昭和16年(1941年)に当時の市立由井第一小学校敷地内で発見されましたが、区画整理に伴い、昭和38(1963年)に北野天満社に移築されました。
北大谷古墳
凝灰岩質砂岩の切石を積み重ねた、全長約10メートルという多摩地域最大規模の石室を持つ、直径39メートルの円墳です。古墳時代後期のもので、多摩地域に覇権を及ぼした有力者の墳墓と考えられています。
中田遺跡
縄文時代から奈良・平安時代まで続く集落の遺跡です。特に古墳時代後半から奈良・平安時代にかけての遺構が多く、川口川のほとりで水田を耕して、農業を営んでいたムラだったと考えられています。一部を遺跡公園として整備し、現在は「中田遺跡公園」として一般に利用されています。
御殿山窯跡群
御殿山窯跡群は、平安時代に瓦や須恵器の一大産地だった窯業拠点の遺構です。そのうち八王子みなみ野シティ地区で発掘された47基の窯跡からは約4万個の須恵器が出土しており、膨大な生産量を誇っていたことがうかがえます。
縄文式土器
市内の各遺跡からは、数多くの縄文土器が出土しています。中でも、旧都立第二商業高等学校旧蔵の中原遺跡(川口町・犬目町)、こびきむこうはら小比企向原遺跡(小比企町ほか)で出土した縄文土器には顔面把手付土器などの優品が見られ、一括して市の有形文化財に指定しています。現在、郷土資料館が所蔵しています。
子抱き土偶
昭和43年(1968年)に都立南多摩高等学校(現都立南多摩中等教育学校)の生徒が、宮田遺跡(川口町)から発掘した縄文時代中期の土偶です。幼子を抱いた土偶はとても珍しく、日本で初めての発見でした。現在、国立歴史民俗博物館が所蔵し、郷土資料館には複製があります。
イノシシ形土製品
滑坂遺跡(みなみ野五・六丁目)から出土した縄文時代の土製品です。腹部に乳首を表現した造形が特徴的で、イノシシを多産で生命力の強さを備えた母性の象徴として作られたと考えられています。現在、郷土資料館が所蔵しています。
ジョッキ形深鉢
意匠を凝らした造形が特徴的な縄文時代中期の土器で、ほぼ完全な形で日南田(ひなた)遺跡(寺田町ほか)から出土しました。高さ11センチメートル、口径7~8センチメートルで、太い持ち手が特徴的です。現在、郷土資料館が所蔵しています。
宇津木向原遺跡方形周溝墓出土品
昭和39年(1964年)に、宇津木向原(うつきむかいはら)遺跡(宇津木町ほか)で縄文時代から弥生時代の住居跡や古墳の周溝が発見されました。ここで発見された四方を溝に囲まれた墓跡は、全国で初めて「方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)」と命名されました。この遺跡の方形周
溝墓からの出土品は、都の有形文化財に指定されており、現在、郷土資料館が所蔵しています。
小銅鐸
弥生時代末から古墳時代初頭のものと推定される小銅鐸で、中郷遺跡(長房町)で発見されました。総高3.3センチメートル、裾部分の長径2.6センチメートル、短径1.6センチメートルという、珍しい小さな銅鐸です。現在、郷土資料館が所蔵しています。
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