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其の六 桑都八王子は織物のまち
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なぜ、八王子は“桑都”と呼ばれるようになった?
八王子は、古くから養蚕が盛んな地域として知られ、江戸時代中期ごろから生糸や絹織物が盛んに商われていました。八王子の風土の中で育まれた産業のルーツを探り、現在につながる「ものづくり」の原点を見ていきましょう。
繭から糸が紡がれる
八王子が桑都(そうと)と呼ばれるようになった由縁は、西行が詠んだという短歌「浅川を渡れば 富士の雪白く 桑の都に青嵐吹く」にあります。この歌は、江戸時代後期の随筆に記録されており、このころ栄えてきた八王子宿の織物市のにぎわいを背景に「桑都」と言い習わされてきました。日本で「桑都」と称されるのは八王子だけです。
江戸時代の八王子は、宿が整備され、市場が立ち、周辺の村々からの繭や生糸、織物の集散地として栄えました。明治時代に入ってからは、萩原彦七製糸場などの大規模な製糸工場が建てられ、大正時代になると手機(てばた)から力織機(りきしょっき)へと電化していきました。第一次世界大戦(大正3年)ごろの日本経済は、かつてない好景気となりました。大正時代の八王子の産業の中心は織物業でしたが、甲州街道沿いには商業も発展しました。
織物業の躍進に支えられ、大正6年(1917年)に、八王子は東京府下で2番目に市制を施行しました。その後、第二次世界大戦による被害で、織物の生産は大幅に落ち込みましたが、生産者の努力により回復し、戦後の一時期は「ガチャ万」(「ガチャ」っと織れば「万」と儲かる)と呼ばれるまでになりました。その後、着物の生地だけでなく、ネクタイ・ニット・マフラー地など種類を増やし、現在は世界に向けてテキスタイルを発信し、「多摩織」の技術は職人の手技によって継承されています。
関連ファイル
はちおうじ物語 其の六 桑都八王子は織物のまち(PDF形式 6,576キロバイト)
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