八王子市


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「八王子隕石」落下200年



隕石の起源は太陽系内の小惑星

小惑星探査機はやぶさが持ち帰った小惑星イトカワの微粒子の分析などにより、隕石は小惑星に起源があることがわかってきています。

八王子隕石 概要

1817年12月29日午後2時ころ落下(江戸時代の暦(旧暦)では、文化14年11月22日)

これらのことが記されているのが当時の随筆や日記などです。(以下、総称して古文書と呼びます。)
落下時の様子やうわさ話が22の古文書に書かれています。

(1)世界最大の都市・江戸の少し北の上空を飛び、多くの人に目撃された。
  飛行経路は、当時の五街道・甲州街道(現在の国道20号線)に並行している。
(2)八王子市、日野市、多摩市のあちこちに落下。(隕石雨) 
  八王子の古文書・石川日記には「石が降る。」と記載されている。
(3)江戸でも大騒ぎになり、流言飛語が飛び交う。
(4)隕石の破片が地元の名主から幕府に届けられ、天文方が調査する。
(5)その後、忘れられていたが、昭和時代になって京都の古文書中から、
  隕石の破片(0.1グラム)と「八王子に落ちた隕石」と書かれた書付が発見された。
(6)国立科学博物館で分析・調査をされ、国際隕石学会に登録された。
(7)日本の隕石落下の記録で5番目に古い。  現在、国立科学博物館所蔵。(非公開)


唯一の八王子隕石の破片      

1 江戸 火の玉の目撃

隕石(火の玉)が江戸の北の空を西方へ飛ぶのをたくさんの江戸の人々が目撃していました。
浮世絵師の八島定岡(岳亭春信)が鎧の渡し(東京都中央区)から、火球(隕石)の飛行を目撃した様子が随筆「猿著聞集」(さるちょもんじゅう)に「火の玉空中をとびし事」と記載されています。
鎧の渡しは、現在の東京都中央区 日本橋川の渡し船で、今は鎧橋がかかっています。
 

火の玉空中をとびし事(解読)(PDF形式 86キロバイト)

火の玉空中をとびし事(解説)(PDF形式 141キロバイト)

2 八王子 隕石落下地点の様子

八王子・横山宿の名主の息子・川口陜山(かわぐち きょうざん)は「落ちてきた石」のことを細かく観察し、江戸の絵の師匠・谷文晁へ詳しく手紙に書いています。
この手紙を、医師・加藤曳尾庵が谷文晁の所へ行った時に書き写し、随筆「我衣」の中に残りました。

内容は
・天気が晴れているところ、急に大雷のような音がして震動した。音は2時間ほど続いた。(衝撃波)
・驚いて外へ出て空を見たら、怪しい白い煙があって、南西の方へ移動して消えた。(隕石雲)
・子安宿という場所の畑の中へ、怪しい物が落ちたと聞いたので、早速、確認に見に行った。
・畑に雪がたくさんあるところ、2〜3間四方(約4〜5m四方)の泥をはね飛ばして、くぼんでいた。(クレーター)
・みんなで掘り出したところ、深さ3〜4尺(約1m)も下に石があった。
・石は、およそ長さ3尺ほど、幅6〜7寸、厚さ4〜5寸だった。(他の古文書にも長い石と記載)
・石の外側は真黒に焦げていた。(落下時に空気の加熱で表面が溶けた溶融被膜)
・落ちた時に割れて、全体が砕けていた。
・割れた中の方は、普通の石のように、青色と白色だった。(石質隕石の特徴)
・甲州街道の浅川の橋際では河原へ落ちたので砕けて、通りがかりの人が拾っていた。
・粟須村新田、豊田村、平山村、柚木村へも落ちた。(隕石雨)
・わかったものは民家の近所に落ちたからで、薮の中や山や川に落ちたものもあるようだ。
・自分のところの石のことは役所へ届けてあり、石を拾った者は集めておくように言われている。
・江戸へもうわさが伝わっていると思いますが、これは本当のことです。
・内々に欠け石をお送りします。
 

3 隕石の落下場所

16の古文書に隕石の落下地点が記載されています

A 上野原金剛院脇 百姓忠七の麦畑(長さ三尺、幅六七寸、厚さ五六寸)
   (この隕石のことが最も多くの古文書に記載されており、最も大きかったと考えられます。)
   (八王子市上野町−下の地図)
E 寺澤村 八左衛門の庭(13貫) (八王子市下柚木)
H 日野宿栗次村(火鉢ほどの大きさ) どこか不明(日野市?)
(以上は大きいもの)

B 八幡宿安房屋(八王子市八幡町)
C 大和田川原(八王子市大和田町)
D 新田高倉、粟須村新田(八王子市高倉町、石川町)
F 柚木村(八王子市下柚木)
G 堀之内村(八王子市堀之内)
I 日野新田、日野の原(日野市大坂上、多摩平、旭ヶ丘) 
J 日野本郷(日野市日野本町) 
K 平山村(日野市平山)
L 豊田村(日野市豊田) 
M 落合村(多摩市落合)


※現在、具体的に隕石落下が伝えられている場所はありません。

4 江戸でのうわさ話

隕石(火の玉)が江戸の北の空を西方へ飛ぶのをたくさんの江戸の人々が目撃していました。
「あれは何だ?」と江戸っ子たちの好奇心を刺激したことでしょう。
しばらくすると、旅人などから「八王子に石が落ちた!」と話が伝わり、「火の玉は石だったのか!?」「どこから落ちてきた?」と騒ぎになりました。
八王子の名主からの届出書や代官から勘定奉行への届出書の写しが、さらに書き写されて広まって、日記や随筆に残されました。

「黒船が大砲を打った。」や「海岸の防御施設の火薬庫が爆発」などは外国船がさかんに接近していた世相を表しています。

・石が落ちたあたりの家が皆傾いた。
・落ちた所の二町(約220m)四方が熱く、近寄り難かった。
・千葉の松平越中守の火薬庫が爆発して、人がたくさん死に、火薬入れのフタの石が飛んだらしい。
・後で聞いたら、八王子へ石が落ちたことも、千葉の松平越中守の火薬庫が爆発したことも、ウソらしい。
・富士山のふもとで大筒(大砲)の試し打ちをしたらしい 。
・伊豆の山から法螺貝が抜け出たらしい。
 熱海の湯治から帰って来た人が言うには、そんなことは無かったと。
・徒士衆の市九郎さんが中川沖(江戸湾)へ釣りに行ったところ、沖で波が立って黒いものが吹き上がったと聞いた。
・伊豆海岸の防御施設の火薬庫が爆発して台の石が飛んだ。
・富士火山が爆発して吹き出した。
・先日来た黒船(外国船)が石火矢(石を弾丸とする大砲)を打ったらしい。
・町のうわさは、いろいろあったが 、12月になったら、その話はしなくなって、何ともわからないままになってしまった。

 マンガ「八王子隕石ものがたり」より

 

5 幕府への届け出と天文方の調査

八王子横山宿の名主が届出書に石の破片を添えて、江戸の代官・小野田信利に送る
      ↓
代官は同様に、届出書に石の破片を添えて、上役の勘定奉行へ送る
(この2つの届出書は一般の人が書き写して、いくつかの古文書に記されています)
      ↓
若年寄・堀田正敦が天文方・高橋景保に石の破片を下げ渡し、調査を命じる
(勘定奉行から若年寄への経路は不明)
      ↓
高橋景保、堀田正敦へ調査結果を報告
「落石のことを調べましたが、空中より石が落ちるという理由はなく、
 高い山の硫黄の蒸気で土石が飛び出すもので、西洋書にもこの類のことは時々あるので、
 今回の落石も、追々出所がわかるでしょう。」 (以降の古文書は見つかっていません)

6 古文書から発見された八王子隕石の破片

昭和時代になって、京都の土御門家の文書調査中に「隕石之事」と書かれた紙包が発見され、中に小さな隕石の破片と「八王子隕石之事」と書かれた書付が入っていました。
八王子隕石はこの破片しか発見されていません。
(国立科学博物館所蔵。非公開)

八王子隕石文書(画像形式(JPG) 525キロバイト)

当館では、この隕石や隕石のことが書かれた古文書を探しています。

200年がたっていますので、隕石を屋外で見つけるのは難しいでしょう。
古くからある家で、神棚や仏壇や蔵の中に紙で包んだような石がないでしょうか。

隕石の特徴は、
(1) 普通の石より少し重い 
(2) 磁石がくっつく
(3) 石の外側は黒く、割れた内側は白いが、ところどころは赤くさびていることが多

このような特徴の石がありましたら、連絡をお願いします。(電話 042-624-3311)

八王子隕石調査のプロジェクトが立ち上がりました。
国立極地研究所・国文学研究資料館・国立科学博物館ほか 共同プロジェクト
  星石4Dプロジェクト(外部リンク)
 下のリンク「星石4Dプロジェクト」には、隕石の特徴や写真が掲載されています。
  八王子隕石の情報募集!(外部リンク)

落下200周年で八王子隕石が分析されました。
  国立極地研究所のホームページ(外部リンク)

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