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はちおうじ物語其の十一 主な構成文化財

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八王子神社

八王子神社
〔元八王子町三丁目〕

日本遺産

八王子という現在の市名の起源は、城山(深沢山)にある八王子神社に由来しているといわれています。

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子安神社

子安神社
〔明神町四丁目〕

子安町の名称の由来となっているのは、八王子市域で最古の草創年代を伝えている子安神社です。天平宝字3年(759年)に淳仁天皇の妃である粟田諸姉(あわたのもろね)の安産祈願のため、子安明神が祀られたことが起原とされています。

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廿里(とどり)古戦場

廿里古戦場
〔廿里町〕

鎌倉から20里の距離にあったことから十十里(とどり)と名付けられたとの説がありますが、定かではありません。永禄12年(1569年)に、武田信玄が滝山城に居城する北条氏照を攻める際に合戦が起こった場所でもあります。

廿里古戦場

困民党之碑

困民党之碑
〔中野山王二丁目〕

明治14年(1881年)の松方財政により貨幣価値が向上すると、負債利子や元金が急激に膨れ上がったため、養蚕・製糸を営む農民が中心となって困民党(こんみんとう)を結成し、利子の減免や年賦償却などを要求する運動を展開しました。

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善太郎坂碑

善太郎坂碑
〔丹木町三丁目〕

丹木町三丁目から谷野町に向かう坂を「善太郎坂」といいます。昭和45年(1970年)ごろまで、坂下に洋画家の小島善太郎が住んでいたことに由来します。小島は「多摩梅咲く里 八王子」「八王子丹木の冬庭」「滝山城趾より多摩川を望む」など、八王子の風景画を描き残しています。

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横川楳子先生像

横川楳子先生像
〔明神町四丁目〕

東京都立南多摩中等教育学校の前身、八王子女学校の創始者である横川楳子(よこかわうめこ)の像で、昭和10年(1935年)に建てられました。楳子は多摩郡横川村(現横川町)の名主の家に生まれ、多摩の幼児教育、女子教育発展に大きく尽力しました。

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八王子千人同心屋敷跡記念碑

八王子千人同心屋敷跡記念碑
〔追分町〕

八王子市の甲州街道沿いに「千人町」という町があります。これは江戸時代に八王子千人同心の屋敷地だったことから町名になりました。この碑は、昭和35年(1960年)に建てられました。

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夕焼小焼の碑

夕焼小焼の碑
〔上恩方町〕

宮尾神社には、"夕焼小焼"を作詞した中村雨紅の歌碑があります。郷愁を誘う名曲を生み出した中村雨紅は、宮尾神社の宮司の三男として生まれました。歌碑は、中村雨紅の還暦を祝して昭和31年(1956年)に建てられたものです。

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牛魂碑

牛魂碑
〔下柚木〕

由木村は、多摩地区で初めて酪農が導入された地です。以後、「牛の村」や「酪農の先駆村」として知られるようになりました。「牛魂碑」は、由木村搾乳者一同によって永林寺境内に昭和25年(1950年)に建てられました。

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あゆ塚

あゆ塚
〔日吉町〕

浅川で採れた鮎を江戸幕府に献上していたことを伝えるとともに、鮎の霊を慰めるため、日吉八王子神社の境内に昭和32年(1957年)に建てられました。

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東京府立第二商業学校の碑

東京府立第二商業学校の碑
〔上野町〕

大正9年(1920年)に上野町に開校し、その後東京都立第二商業高等学校と改称し、台町へ移転しました。東京都立八王子工業高等学校と統合して東京都立八王子桑志高等学校となって現在に至ります。碑は、開校当時に校舎があった場所に建てられています。

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