戦跡マップ

更新日:平成30年7月25日

ページID:P0023636

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戦跡マップの表

市内に残る戦跡を写真で紹介した戦跡マップを作成しました。

戦跡マップ(PDF形式 1,933キロバイト)

市内に残る主な戦跡 

大和田橋の焼夷弾跡

 橋の歩道上には八王子空襲で投下されたM50焼夷弾が傷つけた跡が17箇所残っていた。橋の改修時、歩道の2箇所は透明板で覆い、残りの15箇所は色タイルで位置を示された。橋のたもとには説明板があり、その位置を知ることができる。

大和田橋(大和田町)

クスノキ

 八王子空襲により全焼した都立第四高等女学校(現・都立南多摩中等教育学校)の校庭の木で、空襲の翌年春にこの木だけが芽吹き成長した戦災樹木である。平成22年に同窓会が説明板を設置した。

都立南多摩中等教育学校(明神町4-20-1)

イチョウ並木

 国道20号の追分町交差点から千人町交差点までのイチョウ並木のうち、約20本が八王子空襲による家屋の火災で木の皮が類焼し、一部が焼けた戦災樹木である。発泡ウレタンで腐食防止対策が施されている。

国道20号追分町~千人町交差点(追分町、千人町)

ランドセル地蔵

 昭和20年7月8日、品川区原国民学校の4年生だった神尾明治君が、集団学童疎開先の隣保館(泉町)で米軍機P51による銃撃を受け、命を落とした。明治君に似ている地蔵に、母親が明治君のランドセルをかけたというもの。

相即寺(泉町1132)

乾晨寺の山門

 八王子空襲による焼け跡が残る四脚門形式の山門の建造物として唯一のものである。本堂が炎上したことによる類焼と言われている。ここに集団学童疎開中の学童たちは無事だった。空襲の惨禍が山間にも及んだことを知ることができるもの。

乾晨寺(美山町1491)

陸軍幼年学校

 昭和19年、都内戸山台の東京陸軍幼年学校が現在の長房町に移転し、八王子空襲でほぼ全焼した。卒業生が追悼のため東幼観音を建立し、また、長房団地が学校の所在地だったことを残すための建武台の碑が移築されたもの。

東照寺(長房町1267)

湯の花トンネル

 昭和20年8月5日、中央本線新宿発長野行き419列車がトンネルの東側で米軍機P51の銃撃を受け、52名が死亡、133名が重軽傷を負った。新井踏切の東側には「供養の碑」があり、毎年8月5日に慰霊の集いが行われている。

湯の花トンネル(裏高尾町)

浅川地下壕

 高尾駅南西側の山稜に陸軍浅川倉庫として掘られ、中島飛行機の地下工場となった巨大な地下壕。総延長は約10kmで、金比羅山下などに3箇所ある。壕内の見学会は「浅川地下壕の保存をすすめる会」のHPを参照。

浅川地下壕(初沢町、高尾町)

JR高尾駅の銃撃痕

 JR高尾駅1・2番線ホームの屋根を支える鉄柱(柱番号31と33)には、米軍機による銃撃の跡が残り、「銃撃痕」の看板が設置されている。鉄柱は線路を再利用したものであるが、貫通したその威力に銃撃のすさまじさを知ることができる。

JR高尾駅(高尾町)

十二社神社

 八王子空襲により東浅川町の十二社神社は全焼、東京陸軍幼年学校で焼失を免れた雄健神社の社殿を戦後に奉遷鎮座させて奥殿とした。幼年学校の建造物として唯一のものである。この奥殿を直接拝むことができるのは祭礼のときに限られる。

十二社神社(東浅川町656)

戦災死没者之墓

 八王子空襲による犠牲者のうち、身元不明者や引取手のなかった50体の遺体が埋葬されている。昭和23年に改葬された。
 毎年八王子市社会福祉協議会とシニアクラブ連合会が法要を行っている。

緑町霊園(緑町222)

八王子市戦没者慰霊塔

 戦後、周辺町村の合併で形成された現八王子市域の全戦死者・戦災死没者を慰霊するため、昭和40年に建立した。高さ約20m、3,209名を合葬している。
公園には日清・日露戦争関連の忠魂碑もある。

富士森公園(台町2-2)

関連ファイル

戦跡マップ(初版)(PDF形式 1,933キロバイト)

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