大正時代
<このころの出来事:クリックするとその内容の所に飛ぶよ>
・八王子市誕生
・大正デモクラシー
・「夕焼け小焼け」の作詞者・中村雨紅
・ガチャ万から恐慌
・関東大震災

旧石器・縄文時代・
弥生時代・古墳時代


奈良時代・平安時代
鎌倉時代

戦国時代と
八王子城

江戸時代と千人同心

明治時代

大正時代

昭和時代

八王子歴史年表
  八王子市誕生(写真:当時の町の様子)
花子さん とうとう大正時代に突入ね。
太郎君 市になったのは早かったの?
花子さん もちろん!当時、多摩地域では一番に市になったのよ。東京府には、東京市(今の23区)と八王子市の二つしかなかったって書いてあるわ。
メルト 全国だと22番目だったみたいだよ。このころの人口は約4万人。今は50万人だから10分の1以下だね。

織物工場
▲当時の織物工場

メルト このころの産業の中心もやっぱり織物。このころはかつてない好景気にあったんだ。
花子さん それおばあちゃんに聞いたことあるわ。たしかすごく儲かったときがあったって言ってた。
メルト そうだね。ガチャと一機織ると万(大金という意味)という金がもうかる、と言う意味なんだって。たくさんの人が織物の仕事をしていたんだ。
明治の時代に引いていた電気を使って、織物は手機(てばた)から力織機(りきしょっき)といって、機械化が進んだよ。
▲もどる


  大正デモクラシ―
政治や社会、文化などの分野で民主主義や自由主義を唱える運動が起きていた。昔の選挙制度をかえて、払っている税金の額に関係なく皆に平等に選挙権を与えようとしたんだ(男子のみ)。また、このころは特色ある人や文化を生んだ。八王子でもいろいろなところで活動している人たちがいたよ。八王子に住んでいる椚国男先生という人が、この時代の教育文化の運動を次のような4つのグループに分けたよ(椚国男「八王子における大正デモクラシー文化」『多摩のあゆみ第41号所収』)
■ 『八王子グループ』
市川英作や梅沢昌晴を中心とする薫心会(くんしんかい)で教育・文化の発展などをめざす社会教育型。薫心会は巡回講演会を行ったり、学校へいけない人のために薫心学園を開いたりしたんだ。その後、薫心学園は多摩勤労中学になり、今の八王子高等学校になったんだ。
■ 『楢原や中野グループ』
ふだん記運動の橋本義夫が中心で、村の青年教育活動から始まり、賀川豊彦のキリスト教社会主義などの影響から、社会の不合理などに目を向けた社会型。
■ 『恩方グループ』
菱山栄一や松井翠次郎が中心で、農村生活の改善や文化の向上をめざす新生活型。
■ 『浅川グループ』
当時、高尾山で『大菩薩峠』を執筆していた中里介山の影響を受けて隣人学園の活動を行っていた細川喜治や設楽政治らを中心とする文学型。
また、これとは別に、「夕焼け小焼け」の作者者中村雨紅も八王子、恩方の出身で、やはりこのころ、この歌を作詞したんだ。
▲もどる


  「夕焼け小焼け」の作詞者・中村雨紅
メルト ところでみんな、「夕焼け小焼け」は知っているかな?
太郎君 もちろん。「夕焼け小焼けで日が暮れて…」だろう。
花子さん 私も知っているわ。
メルト このうたもやっぱり、この大正の時代に作られた歌なんだ。これは、ピアノを買った人への付録でつける楽譜にのったものなんだ。しかし、この楽譜は、関東大震災でほとんど焼けてしまい。わずか12部だけ残った楽譜から世の中に広まった不思議な曲でもあるんだ。
<中村雨紅>
中村雨紅の本名は高井宮吉、上恩方、今の宮尾神社で生まれたんだ。明治30年生まれだよ。そして、今の恩方第二小学校出身で、東京の荒川、日暮里の小学校で先生になった。しかし、そのころは、貧しい人が多くて、子どもたちはなかなか学校にいけない。学校に行くより、ものを盗んだり、物乞いをしたりする人もいたんだ。そんな子どもたちの姿を見た中村雨紅は、とても悲しくなった。こういう子どもたちには、勉強ももちろんだけど、情操教育(心を豊かにする教育)が必要だと思ったんだ。そして、童話や童謡を作って生徒たちに教えてあげた。とても心のやさしい先生だったんだ。家の木に実った柿を全部取ろうとしたら、一つは二つは残してあげなさいって、いつも来る鳥たちに残してあげなさいって言ったんだって。そんな内容の詩もあるよ。
雨紅という作詞家名は、「たき火」などで有名な野口雨情にちなんでつけられたんだ。
「夕焼け小焼け」の歌は、大正8年ころ作られた。東京から上恩方へ里帰りすると、なかなか帰りたくなくなってしまう。でも、汽車の時間があるので帰らなければならない、しぶしぶ帰ってゆくと西寺方町あたりで夕焼けになる。なつかしいふるさとの思いがこの歌にはこめられているんだ。


宮尾神社

夕焼け小焼けの歌碑
▲宮尾神社(上)・夕焼け小焼けの歌碑(下)

▲もどる

  ガチャ万から恐慌
花子さん 大正時代って文化が発達した時代なのかもね。
太郎君 う〜ん。ぼくには少しむずかしいな。
メルト そうだね。さあ、だんだん時代は変わってゆくよ。まずは織物だね。
売れに売れていた八王子織物では、ガチャ万という成金もたくさん現れたのはさっき説明したよね。また、儲かったお金で導入した力織機で大量生産した。しかし、作りすぎて今度は製品があまる。あまると値段が安くなり、儲からなくなってゆく。そして、景気もガラガラと崩れて…。みんなこの不景気のことを「ガラが来た」といって恐れたんだ。生糸は約4分の1、八王子織物も約半分まで値を下げていた。市内でも数十軒が倒産したり、工場で働く女性を30日間休ませたりして、作る量を減らしていったんだ。
太郎君 たいへんなことになっちゃったんだね。
メルト そうなんだ。これに追いうちをかけるように、こんな不景気の時代を関東大震災が襲った。
▲もどる


  関東大震災
花子さん 知ってるわ。関東大震災って、すごく大きな地震だったんでしょ。たしか、大正12年9月1日よね。いまも、よく9月1日にはサイレンがなって、訓練してるのをテレビで見たことあるわ。
メルト 良く知ってるね花子さん。でも、地震そのものは最大級ではなかったんだ。地震の後に起きた火事がすごかった。家や人口が密集している地区では火が家々に燃え移った。この大火災は、特に東京や横浜で被害が大きく、死者や行方不明者がなんと約14万人も出たんだ。
 

関東大震災での被害
▲関東大震災での被害

太郎君 このときの八王子市の人口よりも多い人が死んじゃったんだ。やだなぼく。
宇宙人:本当に大きな被害だよね。地震に火事、どれも気をつけなくてはいけないね。
花子さん 八王子の被害はどうだったの?
メルト 全半壊31戸、死者・行方不明20名と八王子では、被害はそれほど大きくはなかったね。
しかし、このときデマが広まったんだ。この震災を利用して在日の朝鮮の人が暴動を起こすという根も葉もないものだった。しかし、震災で動揺している時は判断がつかなくなる。たくさんの何の罪もない朝鮮の人を虐殺してしまったんだ。八王子でもこのデマはすぐに広まり、家の前で暴徒を待ち構えてた人もいたんだって。
花子さん ひどいことがあったのね。
太郎君 ぼくは絶対そんなことはしないよ。
メルト 二度とあってはいけないことだよね。こうしたデマの背景には、日ごろからのひどい仕打ちや差別などの仕返しを恐れた日本人の不安が生んだものだとも言われているんだ。
花子さん やっぱり差別はいけないわ。
メルト このほか、この震災をきっかけに、だんだんに服装が着物から洋服に変わっていったよ。着物だと逃げるときに大変だからね。
あと、玉南電気鉄道の東八王子〜府中間、今の京王線が開通したんだ。
▲もどる


|前へ|  |トップへ|  |次へ|