戦国時代と
八王子城
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室町時代
大石氏の登場
戦国時代
後北条氏の登場
滝山城から八王子城へ
八王子の名の起こり
八王子城落城

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戦国時代と
八王子城

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八王子歴史年表
  室町時代
<そのころの日本では>室町時代  
1333年に鎌倉幕府が滅び、足利尊氏が京都に室町幕府を開く。2つの朝廷があらそう南北朝時代から、戦国大名が天下統一を目指すまでの250年ほど。
  大石氏の登場
メルト 室町幕府は京都で政治を行うけど、関東には力のある武士が多かったから、やっぱり関東は大事だったんだ。だから、関東公方というものをおいて、関東の政治を行わせるんだけど、だんだん勢力争いが多くなって、関東は全国より先に戦国時代にはいってしまうんだね。そんな中で14世紀ころから八王子のあたりで活躍するのが大石氏なんだ。
花子さん 大石氏はどうやって力をつけていくの?
メルト 大石氏は、守護といって今の県知事の代わりに、その国を治めた守護代なんだ。鎌倉時代の「党」という結びつきからこの時代になると「一揆」というものに変わっていく。「一揆」というのは、地方の小さな領主の集団をさすんだ。ここで言うこうした一揆をうまく利用して、どんどん勢力を広げていったらしいよ。
大石氏は14世紀から16世紀にかけて、八王子に高月城とか滝山城などいくつかの城を造っているんだ。
太郎君 お城って時代劇に出てくる、お殿様が「エヘン」っていばっているようなんだよね。八王子にそんな城あったっけ?
メルト 違うんだ太郎君。この時代の城は、テレビでよく見る天守閣がそびえて何階建てにもなってる立派なものじゃないんだよ。こういうのはもう少しあとの江戸時代のころのもので、自分の権力を誇って造っているんだ。
自然の地形をうまくいかして、敵にせめられにくいよう工夫をこらした山城といって、自然の中の要塞みたいなものだね。
花子さん 自然の地形をいかすってどういうこと?
メルト 例えば、山とか丘にこういう山城が造られるんだけど、土をたくさん掘って堀を造るんだ。こうした堀は、細かく仕切られたり、折り曲げたりして、一度に多くの敵が攻められないよう、また、堀の中で動きにくい敵を攻撃しやすいよう考えられているんだね。
  滝山城で発掘された石畳
▲滝山城で発掘された石畳
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  戦国時代
<そのころの日本では>戦国時代  
室町時代の中ごろには、応仁の大乱などが起き、日本全国に戦いの火がひろまる。以後100年余り、守護や地方の領主が自分の主人を倒して勢力を増す戦国の世の中となる。こうした中で地方をまとめていくのが戦国大名。川中島の戦いで有名な甲斐の武田信玄や越後の上杉謙信もその一人だ。その後、織田信長が室町幕府を滅ぼし、その跡をついだ豊臣秀吉が1590年に後北条氏を滅ぼして、天下を統一する。
  後北条氏の登場
花子さん 戦国時代の八王子には、八王子城があって、たしか、北条氏照っていう武将が造ったんだよね。
メルト そうなんだ。この氏照は関東一帯を支配していた北条氏の一族。北条氏の起こりは、室町幕府に仕えていた武士・北条早雲、そのころは伊勢新九郎といったんだけど、この早雲が伊豆から神奈川と勢力範囲を広げていったことから始まるんだ。
その後、早雲の子ども・氏綱が小田原城を築き、その子ども・氏康がまた勢力範囲を広げる。氏照はこの氏康の次男(三男という説もあり)で、前に話した大石氏が北条氏の家来になったことから、大石氏の造った滝山城の主となるんだ。
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  滝山城から八王子城へ
メルト 氏照が滝山城にいる時には、あの上杉謙信や武田信玄に攻められたこともあるんだ。特に武田信玄が2回目に攻めた時には、城が落ちそうになるんだけど、なんとか持ちこたえた。
滝山城の北側は、きりたった崖で敵が攻めてこれないんだけど、南はなだらかで攻めやすかった。たくさん堀があったけど、このころの戦いには鉄砲がたくさん使われるようになってきて、山がなだらかだと、下からも攻めやすかったっていわれているんだ。
太郎君 そうか、刀とか弓矢の戦争から鉄砲の時代になるんだね。
花子さん じゃあ、滝山城から八王子城に移るってことは、山がけわしいってことなんだ。そういえば、八王子城を造ったことから、八王子が八王子って呼ばれるようになったって聞いたことがあるけど、本当なの?
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  八王子の名の起こり
メルト そうなんだよ。八王子城が造られたのは今の元八王子なんだけど、この地区にはそれ以前から病気を治す神様・牛頭天王(ごずてんのう)をまつる「八王子権現」の伝説があって、氏照がこの八王子権現を城にまつったことから、そう呼ばれるようになったらしいよ。
その伝説というと、もっと時代はさかのぼって、913年に華厳菩薩(けごんぼさつ)という偉いお坊さんがこのあたりに住んでいたんだ。ある時、牛頭天王が夢に現れて「自分と8人の童子をまつって、この土地の守り神にしなさい」と告げた。そこで、この華厳菩薩は神護寺(じごじ)という寺を建て、牛頭天王と8人の童子をまつって、「八王子権現」と名づけたといわれているんだ。
  八王子神社
▲八王子神社
花子さん まだ、その神護寺ってあるの?
メルト 今はもうそのお寺はない。「神護寺」って「神宮寺」とか「慈根寺」とも書くんだけど江戸時代には慈根寺村なんてあったし、今は元八王子小学校前のバス停の名前で「慈根寺」なんて残っているんだ。
  「慈根寺」バス停
▲元八王子小学校前のバス停で「慈根寺」
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  八王子城落城
メルト 氏照が八王子城に移った時期はいろいろ説があるけど、天正年間(1573〜1591)の終わりごろと言われている。八王子城に移ってまもなくの1590年6月23日、全国統一をめざす豊臣秀吉の部下の大名の前田・上杉の大軍に攻められて1日で落城してしまうんだ。
花子さん でも、城が落ちにくいように滝山城から移ったんでしょう。なんで1日で負けちゃうの?
メルト まだ完成していなかったためと言われているけど、氏照と部下の武将のほとんどが小田原城に行ってしまってここにいなかったんだ。八王子城に残っていた横地堅物(よこちけんもつ)や中山勘解由(なかやまかげゆ)なんていう家来が一生懸命戦うんだけど、実は兵士のほとんどが農民や職人、お坊さんまでいる寄せ集めの部隊だったらしい。大軍に攻められて、だんだん追いつめられた城の人たち、特に武士の奥さんや子どもは、お互いにのどを刺して自害したり、滝つぼに身を投げて亡くなったので、城山川が3日間、赤く染まっていたなんていう悲しい伝説もあるんだ。
この後、小田原の北条氏は秀吉に降伏して、北条氏は滅んでしまうんだよ。
  御主殿の滝
▲御主殿の滝
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