約200万年前から5万年前
多摩にクジラやゾウがいたころのお話 |
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これは、200万年前の多摩の辺りだけど、海が見えるよ! |
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そう、このころの多摩は海が広がっていて、多摩川でクジラの化石も発見されているのよ。 |
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クジラなんて、すごいなぁ。ほかにもなんか生き物はいたの? |
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クジラと同じころに、メタセコイアっていうスギの仲間が生えていたのよ。ほら、あそこに見えるでしょう。これも化石が北浅川などから見つかっているのよ。
生き物っていえば、ステゴドンゾウというゾウの仲間が、小比企町の湯殿川で見つかっています。100万年前ころの東京ではゾウがいっぱい歩いていたのよ。 |
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| 旧石器時代 |
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八王子あたりに最初に人間が住んでいたのはいつごろなの? |
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うーん、人間はもっと前から住んでいたと思うんだけど、見つかった石器なんかで判断すると、八王子では約1万5千年前の谷野町の寺前遺跡の旧石器が一番古いよ。 |
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そうか、石器は人間が作ったものだから、その石器が作られた時代には人が住んでいた証拠になるのね。 |
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旧石器っていうのは最初、石を石でたたいて作っていたんだけど、だんだん、その破片をナイフにしたり、やりの先に使ったりと、使いみちに合わせて加工していったんだ。 |
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こうした旧石器は、水を手に入れやすい沢などの場所から発見されているから、昔の人たちがどういったところに住んでいたのかわかるんだよね。 |
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そのころの人たちはどんな暮らしをしてたのかな? |
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少人数のグループで動物の狩りなんかをしていたみたいだよ。そのほかに木の実なんかを食べていたんだ。動物や木の実を求めて移動していたから、今のテントみたいなものを持ってあっちっこっち移動していたんじゃないかな。 |
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<そのころの日本では>
100万年前くらい前から地球は氷河期に入り、約2万年前ころ、氷河期のうち、もっとも寒い時季になり、海面は100メートル以上も下がり、日本はアジア大陸と地続きとなった。今の日本海は大きな湖だった。
クジラの化石
昭和36年に多摩川の八高線鉄橋近くで発見されました。約160万年前のヒゲクジラ(シロナガスクジラなどの仲間)の一種と思われ、アキシマクジラと名づけられました。
ゾウの化石
昭和34年にステゴドンゾウの一種の奥歯の化石が発見され、約100万年〜200万年前のものと思われます
メタセコイア |
▲浅川で見ることのできるメタセコイヤの化石
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| 縄文時代の八王子 |
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次に八王子の縄文時代だけど、この時代は約1万2000年前から2400年前くらいまでをいうんだ。それまでの旧石器時代との大きな違いは、土器を作る技術が広まって縄文式土器が広く使われるようになったこと。
もう一つは、家がいくつか集まって村を作っていったことだね。家を作って同じ場所に住むようになったんだ。約1万年前にきびしい氷河時代が終わって、暖かくなってきた。日本は、豊かな木の実がなるブナやナラなんかの木がおおわれていくんだ。そうなると植物だけじゃなく動物も増えていって、食べ物が豊富になるんだね。
じゃあ、縄文時代の中ごろ、4000年前の村をのぞいてみよう。 |
| 縄文人のくらし |
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まん中に広場があって、それを囲むように家がたっているんだ。家は、前の旧石器時代と違って大きくてしっかりした感じね。 |
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これは竪穴住居といって、地面を少し掘り下げ、柱を立てて、屋根と壁をカヤでおおったものなんだ。家の中に炉があって、火を起こして体を暖めたり、料理をつくっていたんだよ。 |
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このころの人たちはどんなものを食べていたの? |
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イノシシやウサギをとって食べるだけじゃなくて、固い木の実をすりつぶして粉にして焼いて、クッキーのようなものもつくっていたんだ。 |
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へえーっ、クッキー!やっぱり家があって、1か所にいるようになると、そういう余裕がでてくるのね。 |
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余裕っていえば、このころの人たちは、けっこうオシャレなんだよ。ほら、向こうから歩いてくる人を見てごらん。 |
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| 縄文式土器 |
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ぼくと同じくらいの子だけど、ペンダントとか耳飾りをしているんだね。手には器みたいなものを持っているけどあれは? |
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あれが縄文式土器よ。粘土を焼いて作った土の器で、表面に縄のような模様がついているの。これに食べ物を入れて煮たり、食べ物を蓄えたりしたのよ。使いみちによって、いろいろな形のものがあるんだ。 |
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あそこにある人形みたいな物は何? |
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あれは、土偶といって人の形なんだ。女の人の形をした物が多い。新しい命を産みだす女の人に、神秘的なものを感じたのかも知れないね。 |
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太郎、きいた?女の方が昔から偉いんだよ、エヘン。 |
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| 弥生時代 |
<そのころの日本では>弥生時代〜古墳時代
弥生時代は紀元前400年ころに日本に米づくりの技術が伝わり、全国に広がっていった時代。米をたくわえることにより、人々のくらしは大きく変わり、ムラの中でもより米をたくさん持っているもの、豊かな人と貧しい人の差が出てきた。
その後、ムラとムラの争いから勢力をつけていったものが豪族となって、小さな国が生まれていく。弥生から古墳時代にかけては、中国や朝鮮から青銅器や鉄などの金属器、機織りや鍛冶、漢字などがもたらされた。 |
| 米づくりからムラおさの墓 |
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弥生時代は本格的に米づくりが始まった時代だけど、八王子の遺跡でも、炭化米といって、焼けこげて炭のようになった米が宇津木向原遺跡というところで発見されているんだ。 |
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ふーん、この時代の人は米を食べていたのね。お米だったら貯蔵しておけば、いつでも食べられるよね。 |
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そうだね。だから、この時代になるとムラの中の偉い人、ムラおさっていうんだけど、その偉い人がたくさんの米を持つようになって、ふつうの人との格差がでてくるんだ。
さっき話した宇津木向原遺跡ではこの偉い人を埋葬した大きな墓が発見されている。これは「方形周溝墓」といって、昭和39年に日本で初めて見つかったもの。だいたい四角い形に溝を掘って、その真ん中に穴を掘り、ムラの偉い人を埋葬したものなんだ。 |
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▲方形周溝墓 |
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| 古墳時代のお墓 |
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その後の時代になると、もっと大きなお墓、古墳が造られるようになるんだけど、日本で造られたお墓で一番大きいのはどれくらいの大きさだかわかるかな? |
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奈良県にある仁徳天皇陵古墳でしょう。写真は見たことあるけど…。
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そうだね。仁徳天皇陵と伝えられるこの古墳は「前方後円墳」というんだけど、長さが480メートルもある。高さはかなわないけど、エジプトのピラミッドより、長さがあるんだ。 |
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その中に1人の人しか埋葬されていないんでしょう。すごいぜいたくだよね。 |
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その後には、一つの古墳に何人かが葬られるようになるけど、たくさんの人の労働力と時間を使って、古墳が造られたのは事実だよね。
八王子にはこの「前方後円墳」はないけど、「円墳」は見つかっているんだ。代表的な遺跡が大谷町の北大谷古墳といって、八王子で一番大きなものなんだよ。高さ2メートルほどで直径は30メートルくらいで、中に横穴があけられて、石で覆われた通路の奥にリーダーのなきがらを安置する部屋、玄室があるんだ。
こういった古墳はリーダーの権威をあらわすものだから、副葬品といって刀とか宝石、貴重な土器なんかが一緒にあるはずなんだけど、心ない人たちが盗んでいってしまったんだ。 |
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ピラミッドの呪いじゃないけど、古墳の呪いがでるぞ〜。 |
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| 古墳時代のくらし |
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お墓の話しが多いけど、当時の人はどんなくらしをしていたのかな? |
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八王子の古墳時代の有名な遺跡は、中野町の中田遺跡。竪穴式住居は、弥生時代なんかと似ているけど、この時代にはカマドが使われるようになったんだ。それまでは地べたに作った炉で料理や暖房をしていたんだけど、カマドは料理専用だった。カマドを使うことで、少ない燃料ですむようになったんだよ。 |
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カマドって使ったことないけど、キャンプなんかで火をおこして、ごはん炊くのって楽しいわ。今じゃ、コンセントいれてスイッチ、ポンだもんね。 |
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この時代でわりと裕福な人たちは須恵器といって、高温で焼いたいい器も使っているんだ。カマドもこの須恵器も朝鮮半島から伝わってきたものなんだ。 |
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▲中田遺跡 |
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